2008年11月26日水曜日

忘れないで

忘れないで

あなたの純粋さが

あなたの強さ

あなたの純粋さは

あなたの背中を貫き

天と地を繋ぐ

クリスタルの柱

世界の中にあなたがいるんじゃなくて

あなたが世界を創っている

忘れないで

純粋な悲しみは汚れない

純粋なものは全て汚れない

痛みは必ず癒される

大きな命の流れを生きている私たち

いつも忘れないでいて

2008年11月24日月曜日

言葉の力

もしかして
真実から一番遠いのが
言葉なのかもしれないね

言葉の力を信じている
なんて勝手な思い込み

言葉に力なんて、ない

それでも何か一つのことが言いたくて
これだけは伝えたい
そういうことを抱えて
人間は生きていると思う

だから私に出来ることは
そういう事実(?!)をそのまま受け入れること

言葉には何の力もないけれど
言葉以上の、言葉以前の
本当の力は
私たち、個々の内に必ずある

だから彷徨う必要はない

ここにいれば良いのだから

きっとそれだけで
大切な人たちへは
十分な愛情表現になるのだろうと
そう思う

2008年11月13日木曜日

ピアスを失くした

幸せって
どれだけ純粋な魂でいられるかってことだと思う

ピアスを片方だけ失くしてしまった

サンタフェから何時間ものロングドライブの後、
やっと辿り着いたタオスプエブロで一目惚れ
一番のお気に入りだったのに

なんでこんなに残念なんだろう?
形あるものは
いつか必ず壊れるものと分っているのに

こうなるのだったら
普段、何気なく付けているときに
もっと”最高の気分”でいれば良かった

最高の私を最高の気分で演出してくれる最高のピアスだと思って
楽しんで感謝して
今日が”人生最高”の日だと思えるぐらいに

別れは突然やって来る
失ってから、その大事さに気付く?

今まで本当に有難う
私の毎日に彩りを添えてくれて
そう言って、もう後ろは振り向かない
それが幸せな選択

美しく見せたいのじゃなく
美しくありたいし
そんなちっぽけなエゴも本当はどうでもよくて
それ以前に、私自身であれば良いだけだ

純粋な魂であるために
意味も分らず着飾る必要はなく
春夏秋冬と、季節が移り変わるように
日々変わっていく自分の命に必要なものを身に付ける

そして出来れば、また
毎日の自分の生を祝福してくれるようなピアスに出会えると良い

精神の自由

わたし
本当に自分の欲しいものがわかったの
それは
精神の自由
誇り高き魂

その昔
北米大陸のネイティブアメリカンたちは
財産や土地を奪われ
居留地までのロングウォークを強いられた

でも 彼らの清い魂だけは誰にも奪うことが出来なかった

モノを所有することにこだわっていると
心が本当に不自由になるね
心が不自由な人は
どんなに取り繕っても美しくはない

今ここに
暖かい部屋と食べものがあるのに
どうして明日のことを心配するの?

肉体がこの世を離れるとき
持っていけるものは何?

自分の心が魂が
どれだけ磨かれているか

誰にだって見えるはず

一筋の内なる光が
湧き出る命の泉が

耳を澄まして
心を澄まして

どんな嵐が巻き起ころうとも
自分の内側から一歩も動いてはいけない

所有することが目的ではない

ともに生きること
すべての命あるものと
ぐるぐると輪になって

2008年10月22日水曜日

呼吸

モノの整理
部屋の整理
お金の整理
人間関係の整理
過去の不要な記憶や感情の整理
タイムマネジメント 脳の活性化 筋トレ 
理想のセルフイメージ アファーメーション 
夢実現♪には詳細まで描けるようなビジョンを用意

・・・・・・

私たちは毎日毎日こんなに忙しくて
とうとう体が悲鳴を上げる

もっと酸素を送ってくれ
そんなに浅い呼吸じゃ苦しいよ

息を吐くことは
手放すこと、与えること、なんだって

息を吸うことは
受け入れること

私が今いるこの時間空間を
すべて受け入れることが出来たなら
初めて本当の呼吸が出来るのだろうか

呼吸の”呼”って?
呼ぶことから始まっている
ああ確かに息を吐くことは
何かを呼んでいるのだ

息を吐いて
そこに言霊を乗せること

本当は”全て”を呼んでいるのだ

それが恐かったんだ
呼んでしまうことが

私の呼吸を妨害しているものは
私自身の恐れだった

肺は唯一意識的にコントロール出来る臓器だと言うけれど

息を吸うこと 息を吐くこと

例えば
潮の満ち干き
月の満ち欠け
昼と夜 男と女 陰と陽

”自然”に”コントロール”することは難しい
人間は自然をコントロール出来ないから

そう、本当は何にもコントロール出来ないのだ
コントロールを手放すことが一番難しい

そういえば今年の誕生日
「欲」と「不安」を手放そう、と自分に誓った

私には手放すことが本当にたくさんある

コップに入る水の量は決まっているから
毎朝 昨日の水は捨てて 空っぽにしなきゃいけない

全身で思い切りよく手放すこと
息を吐くこと 呼ぶこと

本当の私のリズムを見つけるその日まで

2008年9月28日日曜日

The key to my Heart

30年前
小さな私は
自分の一部を箱に閉じ込め
鍵をかけた

気付けばその鍵は
どこかへ行ってしまった

20年前
自分の一部を箱に閉じ込めていることに気付き
私は鍵を探し始めた

10年前
その鍵を見つけてくれた人が出現した

私はずっと 気付かずに
鍵を自分で握っていたらしい

そして私はまた、わざと遠いところに
鍵を置き去りにしてしまった

今日、私は

その鍵をしっかりと右手に握り締めている
箱を開けてみようという決意と共に

もし途中で怖くなったら
止めてもいい

自分でかけた鍵は
いつだって自分で外すことが出来るのだ

箱の中にいるのはきっと
生まれたままの姿で笑う天使
私のなかの叡智

外側の時間が増えれば増えるほど
内側の時間が擦り減っていくように

目に見えるものしか見ないでいると
精神(スピリット)がどこかへ消えてしまう

精神(スピリット)の欠けた生など
生ではない

権威という名の下に蔓延する
この知的怠惰

日々変わっていくことを知るから
楽しいのだ

心が喜ぶから
知ることが楽しいのだ

知識は人のために役立ってこそ
初めて命を取り戻す

子供は親よりも賢い
常に目覚めているから

私たちは最初から何でも知っているのだ

だから
求めなければ
全てが与えられる

孤独な群衆が追い求めるのはいつも
MONEY POWER NAME

だから脱け出そう
The key to my my heart

心の鍵を外して

2008年9月14日日曜日

許されているということ

そう、私たちは 
何もかもを許されてるね

今、初めて気付いたけれど
最初から私たちは
何もかもを許されている

何度も何度も噛み締める
アスファルトを踏みしめる

駅からの道を歩く
缶ビールと満月の夜
鳩尾が開いていく

真の言葉をずっと探してきたけれど
誠の言葉を喋った記憶はない

もちろん
誰かにとって”誠実であろう”とする言葉なんてないけれど

真言ってなあに?
マントラって?

「上っ面の言葉を喋らないで、
本当の言葉を喋って欲しい」

と言いながら、

言葉の力を一番恐れていたのは
私かもしれない

真の言葉をずっと探してきたけれど

なんだ、

私自身が
”それ”を生きてるんじゃない

道理で、どこにも見つからないわけ

詩を書くって、きっと
言葉を忘れること

私たちは
全てを許されている
全てを!

夏の終わり 秋の始まり 満月の夜 

鳩尾からこぼれていく光の曼荼羅と
街灯が溶け合って

ここにもまた一つの聖地が創られている

2008年9月5日金曜日

この”奇跡”を

究極的には
客観 なんて 有り得ない

私の主観は
私にとっての事実で

あなたの主観は
あなたにとっての事実で

主観がどれだけ集まれば
客観になれると言うのだろう

事例を集める
分析する、検証すると言うけれど

過去が全部分ったら
未来のことも分るというのだろうか?

過去に起こったことしか
未来にも起こらないのなら

人間は何のために生きてるの?

自分の今日までの人生が奇跡であり

明日からの人生も、また奇跡が続いていく

私たちは、今、奇跡を生きている

主観でも客観でも

本当は私たちが

奇跡を”観る”ことなんて出来ないんだ

出来るのは

この”奇跡”を享受することだけ

ただ”在る”ことだけ

2008年8月31日日曜日

愛とか慈悲とか

愛されようなんて
1ミリも思っちゃいけない
本当に1ミリも思っちゃいけない
愛されようって思ったとたん
相手も同じことを思うから

愛されようって思ったとたんに
人間は破滅に向かう
愛されたい病は瞬時に伝染する
心は無駄に傷つくし
自然は破壊される

人生は
愛して愛して死ぬまで愛しきって
それで終わり、
そして終わりは、始まり
いろいろなことが
そこから始まる

この”愛する”って
キリスト愛の”愛”のほう、
”慈悲”のことだけれど

慈悲が足りないと思えば思うほど
慈悲も遠ざかる

だから
私自身が慈悲であればいい

私はいつだって慈悲の愛に満たされている
ただそのことを思い出せば良い

みんな本当は覚えているんだから

いつでも心の奥につながる階段を降りていけることを

きらきらと反射し光輝く静かな水面
心の中の聖地
どこにもない、今、ここの NOW-HERE

世俗にまみれ疲弊した愛が
ここでは水晶のようにクリアに生まれ変わり
ダイアモンドのように純粋に光り輝き

明日へ続く生命を創り出していることを

kさんへ

草間彌生の話でいつも盛り上がる私とKさん

自分最高!
私、天才!

このぐらいの勢いも人生には必要なのよねって。

ふと思ったのだけれど、
この”自分最高!”って
強烈な”生命賛歌”じゃない?
水玉賛歌かな?

自分最高!=みんな最高!
私、天才!=みんな天才!

生きてるって素晴らしい!

誰がなんと言おうと
人生は遊び

遊んで遊んで命を輝かそう

オリジナルな自分でいたいね
オリジナルな自分でいないと
カッコつけちゃうし
カッコつけると
本当にカッコ悪いから

つまらない日々を生きてるのも
カッコ悪いけど

2008年の東京で
毎日遊んで楽しく暮らすのだって
難しい

とりあえず
Kさん、これからも一緒に遊びましょう!

2008年8月10日日曜日

私へ

自分を貫いて貫いて
貫き通してみて

そうしてから初めて

大いなる流れのなかに生かされている
生命としての自分を
見つけるのかもしれない

エゴを追求しているかのように見えて
実は調和に向かっている

私は
自分の人生の絵が描けているだろうか

私は、空間に存在する微粒子の一粒であり
その一粒一粒すべてをキャンバスに描き出す
画家でもあり

私が、息を吹き返した瞬間
私の周りの”すべて”も
突然、活き活きと、生き始める

私は
私の顔で笑えているだろうか

recreation とは再創造であり
遊ぶことは 命を取り戻すこと

子供が無心に積み木を積むように

ただ、活き活きと存在する私たちは
キャンバスに描かれる無数のドット

一人一人の命が最高に輝けば
そこには永遠の調和が生まれる

2008年8月4日月曜日

傷つきやすさと繊細さ

傷つきやすいということは、それは一つの才能だと思う。

世の中には、少々のことで傷つかなさそうな人もいて
(本当のところは本人にしか分らないけれど)
そういう人たちと、傷つきやすく繊細な人たちの資質とか才能は、
明らかに違うところにあると思う。

傷つきやすい人たちは、自分が傷つきやすいということを劣等感にしてしまい、
いろいろなことを内面に秘めたまま、悪循環に陥りやすい。

なぜかといえば、一般常識的に、大人は傷つきやすくてはいけない、
ということになっているから。

でも、感情を感じないようにしていると、感情は行き場がなくなり、出口も見失い、
最終的には心も体も凍らせてしまう。感情は、体の感覚と、とても深く繋がっている。

感情を自分から解放してあげる(もしくは自分を感情から解放するのか)には、
思い切りよく、気が済むまで(?)、感じきってあげるしかない、と思う。

子供は皆、とても繊細で傷つきやすく泣いてばかりいるのに、なぜか逞しいのは
そういう術を知っているから?

さらに
感情よりは、理性とか計算とか、アタマを使って生きたほうが一見、得に見える、
そんな時代は終わりつつある。力の強いもの、スピードの速いもの、の限界。

その代わり
今まで力で押さえつけられていたもの、弱く見えていたもの、
スピードの遅いもの、 それらがじわじわと浸透し、台頭し(!?)、
すべてを包み込みはじめている。

朝陽に感動したり、流れる雲に想いを馳せたり、綺麗な夕焼けに切なくなったり、
夜には本を読んで泣いてみたり、たまにはそれだけで一日を終えてみても良い。

自分のなかの ”小さな自分” の存在を感じること。
その ”小さな自分” のいろいろを、
きちんとTake care してあげることが大切だと思う。

傷つきやすさは、きっとダイヤの原石?
かなり言い尽くされてることだけれど、なぜか今日の私の腑に落ちる。

本当のことを言えば、傷つきやすさに執着することは、人間のエゴだとも思う。

ちっぽけな自分の心が何を感じていようが、それとは関係なく
山や海や森や樹や岩や砂は、いつもそのままで美しい。

木々のざわめきに耳を澄ます繊細な感性と、
誰かから予期せぬ悪意をぶつけられて傷つく心、
もしくはあらかじめそうならないように注意深く気を配る神経とは、
なんとなく似ているようで、実は全く違うものなのかもしれない。

自然の恩恵を受けるのは、人間の心だけじゃないし、生きている限りどの瞬間も、
私たちは自然の美しさを味わっているはずで。

どこかの誰かの一言で「傷ついた」と感じる気持ちは、
自分が勝手に創り上げた幻想だったり、
自分にとって都合のよい思考の習慣の結果だったり。

ただ、そういうエゴ的観点(?)で考えれば、

”出来る”自分だけじゃなくて、”出来ない”自分も認めてあげることによって、
劣等感などという無意味な幻想も、自分次第でポジティブなものに変えられる。
諦めないで挑戦し続ければ、人生の可能性は無数にあるってこと、が分る。


自分のことを一人前の大人だと思うのなら、まず最初は、傷つくくことも
傷つかないことも 自分で選択できるようになりたい。
そういう意味で、感情をコントロールする理性は本当の知性。

何が起ころうとも多少のことではジタバタせず、流れに身を任せ、
ただただ内面も外見も平和で幸福に在りたい。

そして次に、周囲の人間や環境に適応してみようとしたいし、
そうしなければいけないから、責任あるから、という理由ではなく、
自分の意思による行動は必ず現実に影響し、物理的な帰結を見る、
というイメージを持って、自ら周囲に働きかけたい。

One step at a day. 少しずつ少しずつ。

2008年7月31日木曜日

My life is in your Hands

今までも 今も これからも
私  ひとり
完全なる 自由
何処にでも  羽ばたいていける
明日 私は 生まれ変わる
本当の わたしへ
古い時間から
新しい時間へと

ライブの前日、
手帳に、そう書いた

本番直前にも
慌しく 読み返した

輪になって 繋いだ手から
伝わってきた皆のエネルギー

皆 それぞれ ”ひとり”で
何時でも 何処にでも
羽ばたいていけるはずで

籠の鳥なんかじゃないし
足枷だってない

それぞれ自由な”ひとり”が沢山集まって

自分の歌を歌う
自分の人生を詠う
誰のために?
自分のために
お互いのために!
あなたのために!!

共鳴し合い
響き合い
繋がり合い

遠い南の水の島での
出逢いがあり

音が、光が、愛が
生まれた

有り得ない瞬間 有り難い瞬間
”ありがとう”がたくさん言いたくて

祈りと感謝の歌は

No matter what may come my way

私の人生に何が起ころうとも

My life is in your hands

全てはあなたの手に
委ねて

So be it. Amen

だから、私たちは強い

皆、強くて弱くて
優しくて

人生は素晴らしい一期一会だと
教えてくれる

そして勇敢な2つの命は
今また
この世に生まれてこようとしている

2008年7月24日木曜日

自分のなかの暗闇と

まず
自分のなかの暗闇と対峙すること
目をそらさない
問題をすりかえない

肩の力を抜いて
自分のなかの暗闇を見つめよう

不安や恐れが
自分のなかにあるのか
外にあるのか
それすらもはっきりしない
過去のものなのか
現在のものなのか
それすらも

暗闇のど真ん中を捉えたら
必ず”それ”に勝つことが出来る

それだけを信じたい

ずっとその強さを探してきた
強くなりたいと思ってきた

怖がったり
パニックになったりしなくていい

ひたひたと常に押し寄せる
闇に打ち勝つことが出来る

腹の底からそう信じればいい

信じることから始めよう

最終的に”それ”に負けてしまっても
最後まで勇敢に戦えば
悔いはないだろう

自分にだけは嘘はつかない

嘘をつくのは潔くないから

2008年7月23日水曜日

勝ち負け

自分が”負け”たと思うから、”負け”ているだけで、
”負けていない”と思えば、”負けてはいない。

点数を付けたわけでもないのなら、
誰がどんな基準で勝ち負けを決めるのか。

苛められた、と自分で認めてしまえば
”苛められたこと”が事実になってしまう。

事実とは、
常に自分が世界をどう捉えるか。

真実を探すことは難しい。

自分を被害者だと思うと、加害者を責めずにはいられなくなる。
そしてそれは必ず自分を責めることにつながり、
結局一番苦しいのは自分。

問題は、”何”と、勝負をしているか、だ。

そう、私は何と勝負しているのか?
弱い自分と戦っている

どこへ行きたいのか?
何を目指しているのか?
それを心底、痛切に、
感じているのか?

本気なのか?

本当の恋とは?

本当の恋をしたことがないな、と思う。

人や物事に
本当に恋焦がれるのは、勇気のいること。

なぜなら恋することは、
とても自分勝手な欲望だと思うから。

自分勝手と自分勝手がたまたまぶつかって、
恋の詩をうたうことなどもある。

自分のエネルギーを、
世界平和や国際貢献、ボランティア活動など
より多くの人のため、より良い社会を作るために
費やす人もいれば、
たった一人の人間の心が欲しくて
四苦八苦する人もいる。

それは、良いわけでも、悪いわけでもなく。
個人の選択、内心の自由。

コトを起こしてみなければ
わからないこともある、きっと。

でも、本当の恋をすることが出来るのは、
精神的、経済的、生活的に自立した大人だけだ、
と私は思う。

この世に生まれてくるときも、去っていくときも
たった一人で、何にも持たず。

誰にも何にも執着せず、
孤独を最大の友達とする人間だけが
本当の恋を知っている。

恋に約束や条件や将来性や計画性があってはならない。

恋とは現実離れした理想を語ることではなく、
今、ここ、を、情熱で結ばれた誰かと、
精神と肉体を持って共有すること。

なんという自由!
そして、その”自由”に至るまでに、
どれだけの修行が必要なことか。

私もいつかは
初日の出を拝むような
そんな恋が出来る人間になりたい。

2008年6月15日日曜日

公園にて

梅雨の晴れ間(?)の晴天
土曜の午後
家族3人で仲良くお出かけ

バス停3つ先のところにあるその公園は
広いスペースもあり、
ブランコなど遊具もありで大人気

滑り台では、2歳から5、6歳位と思われる
男の子数人が遊んでいた

宇宙船ごっご?
よく分らないけれど、彼らの間では
共通のイメージの世界が確実に出来ていて
とにかく楽しそう

一番年上に見える男の子が
一番年下に見える男の子に
石を投げた、とても軽く、ごく近い距離から

その小さい子は泣き出し、
場の雰囲気が突然変わる

遠くにいた、小さい子のほうのママが出てきて、
「だーかーらっ、誰が!やったの!?」
ややプチ切れ。

男の子たちは、みんな口々に
「僕じゃありませんよ。ええ、僕じゃぁありませんからぁ・・・」

結局、自白したのかどうかはよく見えなかったけれど、
石を投げた子のほうのママも出てきて、
おまけに他の子たちのママもわらわらと出てきて、
謝ったり謝らせたり、
「ごめんなさいしよ~ね♪」
「はい、握手で仲直り~♪」

ああ、いまどきの子育て事情・・・
見て見ぬフリで、一部始終を観察する
私たち夫婦

気付けば、滑り台のてっぺんで
我が娘まで彼らを凝視している

「難しいね・・・」
「なんだかな~って感じだよね・・」

明らかに、自分たちの世界を創造し、共有し、
遊びに没頭していた男の子たち

みんなまだ小さいけれど、
仮想敵(?)と勇敢に戦っていて、
とっても男気溢れていて

ちょっとエキサイトし過ぎて石を投げちゃった、
そんな感じに、私には見えた
そしてもう一つ大事なこと

彼はきちんと手加減していた
石を投げられたら痛いってこと、
感じることが出来ているように、見えたけれど

もちろん、本当のところは分らない

けれど、
小さい男の子たちの遊びに
わらわらわらと、ママたちが突然介入してくるって・・・・
何かが絶対違うような気がするのは
私たちだけだろうか?

まだ息子がいないので
よく分らない

それにしても

男気はどこへ行った?
父親はどこへ行った?

そんなにママが強くちゃいけないよ、ホントに。
いや、ホントはママのほうが強いのかもしれないけど
それにしたって・・・

Leave him alone
男には男の世界があるんじゃないの?

私はやっぱり
生命力溢れる
強くて優しい男が良いです

2008年6月13日金曜日

NOW + HERE

NOW + HERE = NOWHERE
どこにもない
今、ここ

関の無い門、と書いて無関門
GATE OF NO GATE

私たちはどこから来て
どこへ向かっているのか

This is where we all came from
そしていつかまた戻っていく場所

例えば、登山
頂上に至る道は、人生の数だけある
人の通った道は、歩かない

高い高い山を登っているつもりで、
実は
深い深い井戸を掘っているのかもしれない

「自分のなかに、深い井戸を掘ってください」
高校生のとき、ある人に言われたこと

言葉の意味を本当に理解するには幼すぎたけれど
彼が言葉に込めた思い、は
確かに伝わった

Something about life
早く、人生を知りたい!
そう痛切に思った瞬間だった

NOW HERE
どこにもない
今、ここ
そして、これが全て

In the middle of nowhere
私の目指す場所

2008年6月8日日曜日

言葉にすること伝えること

普通の暮らしのなかの
ほんの何気ない感想でも
その一言が
誰かの心にさりげない明かりを灯すきっかけに
なってくれたなら
これ以上嬉しいことはないと思う
そして
そういうことは
結構よくあること
だから
口を閉ざしてしまうよりは
何でもいいから
言葉にしてみよう
いやな言葉しか出てこないのであれば
出なくなるまで出し切ってしまえばいい
そうしたら
自分の本当の気持ちが分って
いつか素直に笑える日が来るから
言葉にすること
伝えること
とても大事
どんな陳腐なセリフにも
そこに魂の発露があれば
必ず伝わる
言葉を超える何かが
本当に伝えたい何かが
ありふれた言い方
そういうのが
いちばん響くんじゃないかな
だって私たち
みんなありふれた存在

2008年6月4日水曜日

魂の開墾

最近、ある人との非常に深い気持ちのやりとりのなかで、
気付いたことがある。

例えば、私との対話のなかで、相手が自らを語ることにより、
過去の経験に新たな光が照らされたとする。
「ただ聞いて欲しかった」という彼女の純粋な心のおかげで、
私のほうこそ、この上なく深い気付きを得ることになった。

お互いに同じ分だけ与え合い、学び合い、
そしてその感動や感謝の気持ちが時空を超えて、
また別の人間の魂まで癒しているかもしれない、 という奇跡。

例えば、私との対話のなかで、誰かが深く自分の内面を見つめ、
自分の魂とも言える、真の自己をより多く発見する、とする。

そんなとき、私自身も、本来の私を発見し、
感情的に浄化され、魂が喜んでいるのを
しっかりと感じている。
最も私らしい私で存在することが出来ている。
他人と対話しているようでいて、自分の内面と対話している。

Cultivation of soul とは、私のメンターの言葉だけれど、
本当にまるで、一緒に魂の開墾作業をしているように!

より多くの人の魂と触れ合っていきたい。
響き合い、共鳴し合い、癒し、癒され。
それが私の仕事。
漠然と感じていたし、子供の頃からずっと
そんなことを探していたのだけれど、
はっきりと意識化され、言葉になったプロセスを、
今、ここにこうして記録している。

もしかすると、
魂は深く傷ついていて、その傷を癒そうと決意して、
この世に生まれてくるのかもしれない。

だから人の一生は、今与えられている自分の能力や状況の下、
ベストを尽くし続けることによって本来の自分が見えてくる、
という仕組みになっている。

本来の自分とは、皆とても純粋で、ただ善くありたい、
と存在する無垢な魂。
本当のコミュニケーションとは、魂と魂で触れ合うこと。

2008年5月31日土曜日

熱いコミュニケーション

いつのことだったのか
詳しい日付は覚えていないけれど、
確かとても蒸し暑い夏の夕方だった。
仕事帰りの電車のなかで、目の前に座った若い男性2人組。
手話で会話していた。

手話はもちろんのこと、顔の表情、
舌を出したり引っ込めたりする口の動き、
自分たちのもてる全てを駆使して(!?)会話をしている。

大の大人の男性2人が、
狭い電車の席の隣同士ぴったりくっつき合って、
顔と顔なんかもかなりの至近距離で近づけあって、
口角泡を飛ばす勢いで、本当に一生懸命。

彼らの熱さに、少しだけ冷たく閉ざしかけていた私の心が、
じわ~っと和らいでいくのを感じた。

手話が分ったらいいのに。
一つのサインは、どれくらいの
言葉の意味をカバーしているんだろう?
手話を喋る人って、いつもあんなに全身全霊で熱く会話するの?
とか、聞きたいことは沢山あったけれど。

何のためらいもこだわりもなく自分のことを100%表現する。
すると相手も同じように100%の自分を出してくる。
自分の意見が正しい!と押し付けあうのではなく、
最初から諦めきって相手の意見を全く聞いていないのでもなく、

「わーお!!
やっぱり僕らはち・が・う・んだね!!良かった~!!!」
まるでお互いの意見が違うということを確認して喜ぶかのように、
本当に小さな子供がふざけあっているかのように
何かいきいきとしたものが2人の間を
行き交うのが見えた気がした。

コミュニケーションとは本来こういうものなのね。
一人一人が違う。昨日と今日でも違う。
なんて素晴らしい!だから世界は美しい!

一人一人が必ず持っているはず、何か他人のために出来ること、
それが才能。

熱いコミュニケーション、
少しずつ脱いでいこう、固く作ってしまった自分の殻を。

2008年5月30日金曜日

友人Kさん&Hさんへの感謝を込めて

いつも穏やかで美しく、周囲にさりげない気配りを欠かさない
Kさん&Hさん姉妹。
その優しさは、本当に本当にまさしく
血のにじむような努力の賜物だったのですね。
全ては心の中の出来事かもしれないけれど、
振り向けばすぐ後ろにはドロドロとした悲しみと後悔の底なし沼が、
そして目の前には憎しみの炎が
今にも自分の体を焼き尽くしそうな勢いで燃えている、

それでも、”光”の方向へと歩き続けることを止めなかった、
その強さの理由は、自分たちの強靭な精神力からだったのでしょうか、
それとも深い深い愛で誰かに守られていたからなのでしょうか。

憎しみの炎がどんなに強力か、抗えない魔力を持っているか、
私もよく知っているからこそ、本当に本当に尊敬します。
”闇”と戦うのは、どこぞのヒーローではなく、
今ここに生きている平凡なこの私。
自分の敵は自分だけ、という真理。

大変な苦しみを乗り越えてきた姉妹の、キラキラした優しさに触れ、
今、私の魂がフルフルフルと震えています。

こんなときには必ず思う、
やっぱり人は癒し癒されるために生まれてきているんだなーと。
ぼんやりと眠っていた私の魂を目覚めさせ、行くべき方向へと導いてくれたのは、
嵐の中でも歯を食いしばり進み続けた、誰かの血と汗と涙の結晶。
不思議ですね、いや、やっぱり不思議じゃなく
みんな繋がっているんですね。

重い荷物を一つずつ捨てながら、一日一歩でいい、
明るい陽のさす方向へ近づくこと。
Much Much Love and Respect to K san & H san, 
どうもありがとう!!

Tree of Words

どうか、私がいついかなるときも、私自身でいることが出来ますように。

本当の言葉を喋ることが出来ますように。

私の言葉が神様に届きますように。
神様の言葉が私に届きますように。

”完全な私”でいることこそ、”完全な私”以外の誰か、
例えば地球の裏側に住む会ったこともない誰かへ、
繋がることの出来る一番の近道なのかもしれない。

言の葉は、音であり、光であり、色であり、一つの大いなる命(幹)から
無限に分かれた枝、またその先端の葉、一枚一枚。

夕方5時の渋谷駅西口、家路を急ぐ人、人、人。
雑踏、喧騒、全てがあるようで、何もない。
ここには、私と、私の心に繋がるものが、何もない。

言葉(ことば)=事端(ことば)
事端=事の端々=日常の些細なこと=神は細部に宿る

大いなる命の幹から生まれ出た無限の言の葉たち。
大いなる命の流れのなかに存在する事の端たち。

”言う”ことは、きっと神様との約束、あなたとの約束。

私の本当の言葉をもって、あなたの本当の言葉と繋がりたい。

どうか地球上の全てのヒトが、ありのままの姿で輝けますように。