2009年7月22日水曜日

皆既日食の決意

まとわりつく闇に負けるな 

闇から闇へさまよって

魂の迷子にならないように

光は自分のなかにある

自分のなかの光をもっと感じられるように

肩の力を抜いて 深呼吸

意識と無意識の橋渡し

もっと自由に堂々と

胸を開いて感じるままに

自分のなかの愛と光を表現しよう

自分を脅かしているのは

自分だけ なんだから

本当は 誰かに傷つけられることなんて ない

光があっての闇 闇があっての光

片方だけでは存在できないのなら

良い悪いと決めることには意味がない

光も闇も、体験しなければ 「わ・か・ら・な・い」

いつも目覚めた魂でいよう

目覚めた魂同士で もっと繋がろう

光と光で 手に手を取り合って


屋久島から連れてきた 

携帯ストラップの木霊ちゃんが

今朝 起きたら どこかへ消えていた

皆既日食の朝

きっと今日から 

私1人で歩いていける、ということ?

今まで本当にありがとう 木霊ちゃん

きっと今日から

新しい私

2009年7月4日土曜日

つれづれに

2年前 セドナへの旅の途中に読んでいた

河合隼雄さんの”ナバホへの旅 たましいの風景”(朝日文庫)

今朝、ふと気になってパラパラっと読み返しています。

開いたページが、きっと今の私へのメッセージ。

ナバホのメディスンマンは、儀式や治療のために、チベット仏教のマンダラのような

砂絵を描くのだそうです。

ナバホにとっても、チベットの人にとっても、自己と宇宙の調和、が重要なテーマ。

これはすべての人にとって、そうだと思いますが。

マンダラに表現される、全体性と調和。

全体と一部、一部と全体との関わり、自分と他との関わり。

どちらかが、またはどれか一つが欠けても、美しさは成り立たない。

今、ここの一瞬を創り出すために存在している、すべて。

ここ最近、個人的なテーマである「分離と統合」という観念。

なぜ私たちは、「繋がっている」と嬉しいのか?

昔から、ふと脳裏に浮かぶ縄文土器やケルトの文様

また最近よく気になっている「13の月の暦」。

ぐるぐる渦を巻きながら、上昇しているイメージ。

直線のぶつ切りではなく、始まりも終わりも分らないようならせん状の何か。


そこから繋がるのが、去年1人で観にいった

ドキュメンタリー映画 「1/4の奇跡~本当のことだから~」

(ちょうど今、下北沢のTOLLYWOODというミニシアターで上映中みたいです。)

今この瞬間が奇跡だということ、いのちが全て繋がっているということ、

ひとりひとり違っているから 素晴らしいんだ、ということ!感謝の映画。

出演者の1人である、バイオテクノロジーの権威で筑波大名誉教授の村上和雄さんの著作、

「アホは神の望み」(サンマーク出版)

面白かったです。とても勇気付けられる内容。

純粋なアホでいられることは難しいね。

アホのフリならいくらでも出来るけれど。


大切な友人に、私のそらに太陽がやってきたよと伝えたら、

彼女が「たいようオルガン」という絵本を送ってくれました。

太陽の絵本にそらは大喜び!

声に出して楽しそうに読んでいます。

誰かの優しさがこんなにも誰かを幸せにする!

私にとっても、目からウロコという感じの絵本でした。

なんだかすごい、すごいぞ。 

爆発してる、そう、生命がいきいきと爆発してる!そんな感じ。

愛しい姪っ子や甥っ子にインスパイアされて創作することもある、と言った彼女。

創作するということはきっと、愛するということ


太陽からマンダラに繋がった?

そんなつれづれを想う、土曜日の昼下がり。

2009年7月2日木曜日

美しさ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに


強くなりたいと思っていたけれど

強いということは同時に

弱いということでもあり

弱さを受け止める強さ

強さを受け止める弱さ

弱いも強いも 

それだけでは成り立たない

だから

これからは 美しさを目指そうと思う

美しいの反対は

美しくない?

美しくないって何だろう?

大丈夫 すべては

すべては 私の こころ が知っている

私のハートが 

私の心臓が

私の鼓動が

天と地の交差する場所が

そう 感じるままに

本当に辿り着きたい場所は

美しいところ

自分を取り巻くすべてが

自分の鏡であるなら

美しさとは 自分のなかにある

自分のなかに見つからなければ

地球の反対側にまで出かけたって

見つかりはしない

でもきっと

美しさとは優しいもの

「目指す」ような厳しいものではなく

既に そこに ここに あるもの

気付く こころ 感じる こころ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに