2009年9月16日水曜日

直観

この広い宇宙に

わたし ひとり

全ての

生きとし生けるものと繋がって

掴もうとすればするほど

指の間からするするとこぼれていく

ああ これが今日の

わたしの 命のかたち

昨日でもなく 明日でもなく

今日のわたしの 命のかたち

2009年9月15日火曜日

素直に

一番大切なことは 目に見えない

一番伝えたいことは 言葉にならない

本当の音楽は 音と音の間にある

生きていれば

良いことも 悪いことも ある

良いとか悪いとか 判断しているのは

小さな自分

その判断の基準は

どこから来ているのだろうか

判断の前には 思考があり

思考の前には

他人や過去の知識の集積がある

それをどこまで辿っても

知識の迷宮を彷徨うだけで

自分にとっての本物ではない気がする


良いも悪いも

同一物の異なる側面かもしれないのに

自分の発した言葉が

宙ぶらりんになって

行くあてもなく辺りを漂っている

そう感じるとき 見返りを求めている

肩に力が入りすぎて

言葉の力を信じられないとき

でもきっと 本当に力を持つのは

言葉や音、そのものであって

ちっぽけな人間のエゴではない

だからすべて

会話は会話がつながるままに

音楽は音楽が楽しむままに

文章は文章が生まれるままに

人間はただ生かされるままに

それで良いのかもしれない

2009年9月12日土曜日

村上和雄先生のセミナー

自分の魂の学びが

螺旋を描くように

進んでいると感じる 今日この頃

奇跡的に(!?)

あの村上和雄先生のお話を聴く機会に恵まれた

K姉妹、本当にどうも有り難う!

偉大な科学者であるとともに

宗教家でもあるはずの先生は

まさに

科学と宗教の歩み寄りを体現している方のように見える

Something great

呼び方は何でも良いと思うのだけれど

全てを委ねるところ

お任せしてしまう何か

恐れやこだわりは全て

Something great に委ねてしまって

私たちは、ただ笑っていれば良いんだって

恐れなければ それは愛だね

全て委ねてしまえば

誰も何も裁けない

許すことしか出来ないね

私たちのなかには

まだ眠っている遺伝子が沢山あるらしい

その遺伝子スィッチをONにするのは

笑顔!陽気さ!

きっと笑うことは生命力の源なんだね

Forget と Forgiveness  が同義語だということ

忘れること 許すこと

欲望を持たないようにするわけにはいかない

欲望を持ってもよい

ただ 欲望を忘れることは出来る

私も、欲望だけが人間の生命力の根源だとは思わない

どう考えたって

私たちは 生かされている

生かされているように生きていけば幸せで

欲に振り回されるのは勿体無い

傷つけたり傷つけられたりしたことを

忘れることも出来る

拘り続けることもできる

私たちは選択できる

ただ

自分や他人を罰するために生きてるのではないのならば

気楽なほうを選びたい

許すってことは

不正だと思ったことを認めることなのではなく

自分で裁かないで

Something great に委ねてしまうことなんだって

そうすれば「不正」に見えていたことが、見えなくなるね

すると不正な現実がなくなる

なんとなくモヤモヤしていたものが晴れていくような

魂がピンっとアンテナを張りなおしたような

自分の本当の居場所を思い出したような

そんな時間だった

K姉妹からいただいた貴重な時間

魂の糧となりました

本当にどうもありがとう!

2009年7月22日水曜日

皆既日食の決意

まとわりつく闇に負けるな 

闇から闇へさまよって

魂の迷子にならないように

光は自分のなかにある

自分のなかの光をもっと感じられるように

肩の力を抜いて 深呼吸

意識と無意識の橋渡し

もっと自由に堂々と

胸を開いて感じるままに

自分のなかの愛と光を表現しよう

自分を脅かしているのは

自分だけ なんだから

本当は 誰かに傷つけられることなんて ない

光があっての闇 闇があっての光

片方だけでは存在できないのなら

良い悪いと決めることには意味がない

光も闇も、体験しなければ 「わ・か・ら・な・い」

いつも目覚めた魂でいよう

目覚めた魂同士で もっと繋がろう

光と光で 手に手を取り合って


屋久島から連れてきた 

携帯ストラップの木霊ちゃんが

今朝 起きたら どこかへ消えていた

皆既日食の朝

きっと今日から 

私1人で歩いていける、ということ?

今まで本当にありがとう 木霊ちゃん

きっと今日から

新しい私

2009年7月4日土曜日

つれづれに

2年前 セドナへの旅の途中に読んでいた

河合隼雄さんの”ナバホへの旅 たましいの風景”(朝日文庫)

今朝、ふと気になってパラパラっと読み返しています。

開いたページが、きっと今の私へのメッセージ。

ナバホのメディスンマンは、儀式や治療のために、チベット仏教のマンダラのような

砂絵を描くのだそうです。

ナバホにとっても、チベットの人にとっても、自己と宇宙の調和、が重要なテーマ。

これはすべての人にとって、そうだと思いますが。

マンダラに表現される、全体性と調和。

全体と一部、一部と全体との関わり、自分と他との関わり。

どちらかが、またはどれか一つが欠けても、美しさは成り立たない。

今、ここの一瞬を創り出すために存在している、すべて。

ここ最近、個人的なテーマである「分離と統合」という観念。

なぜ私たちは、「繋がっている」と嬉しいのか?

昔から、ふと脳裏に浮かぶ縄文土器やケルトの文様

また最近よく気になっている「13の月の暦」。

ぐるぐる渦を巻きながら、上昇しているイメージ。

直線のぶつ切りではなく、始まりも終わりも分らないようならせん状の何か。


そこから繋がるのが、去年1人で観にいった

ドキュメンタリー映画 「1/4の奇跡~本当のことだから~」

(ちょうど今、下北沢のTOLLYWOODというミニシアターで上映中みたいです。)

今この瞬間が奇跡だということ、いのちが全て繋がっているということ、

ひとりひとり違っているから 素晴らしいんだ、ということ!感謝の映画。

出演者の1人である、バイオテクノロジーの権威で筑波大名誉教授の村上和雄さんの著作、

「アホは神の望み」(サンマーク出版)

面白かったです。とても勇気付けられる内容。

純粋なアホでいられることは難しいね。

アホのフリならいくらでも出来るけれど。


大切な友人に、私のそらに太陽がやってきたよと伝えたら、

彼女が「たいようオルガン」という絵本を送ってくれました。

太陽の絵本にそらは大喜び!

声に出して楽しそうに読んでいます。

誰かの優しさがこんなにも誰かを幸せにする!

私にとっても、目からウロコという感じの絵本でした。

なんだかすごい、すごいぞ。 

爆発してる、そう、生命がいきいきと爆発してる!そんな感じ。

愛しい姪っ子や甥っ子にインスパイアされて創作することもある、と言った彼女。

創作するということはきっと、愛するということ


太陽からマンダラに繋がった?

そんなつれづれを想う、土曜日の昼下がり。

2009年7月2日木曜日

美しさ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに


強くなりたいと思っていたけれど

強いということは同時に

弱いということでもあり

弱さを受け止める強さ

強さを受け止める弱さ

弱いも強いも 

それだけでは成り立たない

だから

これからは 美しさを目指そうと思う

美しいの反対は

美しくない?

美しくないって何だろう?

大丈夫 すべては

すべては 私の こころ が知っている

私のハートが 

私の心臓が

私の鼓動が

天と地の交差する場所が

そう 感じるままに

本当に辿り着きたい場所は

美しいところ

自分を取り巻くすべてが

自分の鏡であるなら

美しさとは 自分のなかにある

自分のなかに見つからなければ

地球の反対側にまで出かけたって

見つかりはしない

でもきっと

美しさとは優しいもの

「目指す」ような厳しいものではなく

既に そこに ここに あるもの

気付く こころ 感じる こころ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに

2009年6月28日日曜日

そらと太陽

大きな虹が現れた

5月の満月の 前日

早朝に

疲れきった体で

確かに 嵐の音を聞いた

その朝 生まれてきたのは

私の太陽

私の そらに

初めて 太陽が顔を出した日

この日が来ることは

幼い頃から知っていたような気がする

なぜなら

私のなかの子供は

いつだってクレヨンを握り締めて

白い画用紙に

空や太陽を

力いっぱい

描いていたから

色も形も無限に存在する

私の空に 私の太陽

あなたの空には あなたの太陽

色も形も何もかも

違っていて それで良い

ただ

私のなかの子供が

あなたのなかの子供が

これからも好きなだけ

自由に夢を描くことが出来ますように

そんな風に思った

早朝の嵐を聞きながら

いつも空には太陽が

守っているようで守られている

私の そらと太陽と

守っているのか 守られているのか

あなたの空には あなたの太陽が

2009年4月15日水曜日

何よりも

その指も 髪も 声も

すべてが愛しい

この 「私」

もっと 

私のなかを

私でいっぱいに

満たさなきゃ

そうじゃなきゃ

嘘付かずに

本音で人と付き合うことなんて

絶対に出来ない

意志と祈り

そうか!

意志あるところに 道は開けるんだ

意志がなければ 道は開けない

初めに 意志が ある

「意志」または「意思」は、きっと

大いなる命の「意」に「乗る」ことによって

ひとりひとりのもとへ降りてくる

祈ることは受け取ること

だから

迷いを捨てれば 道は開ける

迷いを捨て切るのに

あとどれだけ時間がかかるのだろう?

すべては すべては すべては

もっとシンプルなはず

人生が複雑で良いわけがない

迷いなど2秒で捨てられるはず

本当は

NO TITLE

人間は皆 ペルソナ(仮面)を付けて

それぞれのドラマを演じている

本当の自分は

すり鉢の底のような円形劇場で

連日連夜 飽きもせず

悲喜こもごものドラマを演じている自分たちを

上から覗き込んでいる

そしてその背中には 羽が生え

空を自由に飛んでいたりもする

様々な「業」を背負って 

すり鉢の底でもつれ合っているのも私たちなら

どこまでも限りなく広がる自由な空を

悠々と飛び回っているのも私たち

どこにも行く必要はないの

今、ここ、から動かないで

目を開き、胸を開き、深呼吸して

「今」を感じてみて

10秒先の未来が 20秒後には 10秒過去になる

時間は どこに どういうふうに 流れてる?

決して捉えられない「時」

きっとそうやって 捉えようとするから 「今」が掴めない

繰り返し続ける 自問自答

「今」の中心に沈むことを覚え

そして初めて 「時」の意味を知る

「時」には「永遠の今」しかないんだ!

私の肉体が感じているものが 「時・間」 なんだ!

「今、ここ」にしかない NOWHERE

でも、ここには 全てがある

すり鉢の底の劇場に疲れたら

少しだけ 空を見上げて

そこには必ず

「今、ここ」の底に沈む 「私」がいるから

呼吸は宇宙のリズム

呼吸は宇宙のリズム

いつも私を導いてくれる

「私」が呼吸するのではなく

「呼吸」が私を導いてくれる

私は

「それ」に逆らわず 争わず ただ身を任せ

心から信頼し

そこから

本当の幸福は始まる

2009年3月17日火曜日

学び

生まれて来る前に

この世で経験するはずになっていること
すべてを決めて覚悟してから来るのなら

乗り越えられない問題なんてないはず

困難だと思っていることは
自ら創り出しているとしたら?

乗り越えたくて
問題を引き寄せている
そういうこと?

昨日の自分を超えると
だからこんなにも嬉しいんだ

「学ぶ」って本当は
そういうことなんだ

何が本当に問題なのか
気付くまでに
まず相当の時間がかかるけど

たくさん苦しんで
醜い姿も晒して
自分も他人も傷つけて
シタバタして

そんなときに
本当は聞こえている
内側の声

全ては
導かれるままに

自分のベストを尽くして
自分から解放されること

ただ流れていく時を感じること

守られていることを信じること

そして

豊かさの源が自分の内にあったことに気付く

生かされていることに気付く

生かされているこの命を

隅々まで十分に味わって

幸福に感謝しながら

今日もこの体を静かに横たえよう

2009年3月3日火曜日

ひとりひとりが

皆 なにかを学んでいる
この 人生という旅の途中

それぞれが それぞれの場所で

違っているけど
皆 同じ

そう思えることは 私を
とても優しい気持ちにさせる

愛しいあの人や
愛しいあの子

地球の裏側に住んでいる
未来の友達も

皆 一緒だね 繋がってるよ

それぞれが 本当の自分に戻る 旅の途中で

ひとりで山を登っている


そして

自分で道を切り拓き 歩いていけること

自分以外の人間もまた

ひとりで そのひとの道を切り拓いていけることを

私は 信頼している

ひとりひとりが

それぞれの場所で

天と地と繋がり

心の言葉を口に出し

森の精霊と会話するように

自分の体の声を聞く

描いた絵はそのままに

夢はきっとみんな叶うよ

今日よりも素晴らしい明日

全ては良きことのために

私たちは 成長したいから 生まれてきたの

ある日ある時
ある決意をもって

物凄い力で産道を降りてきたよ

それを 思い出せば 良いだけ

海からのメッセージ

思い出そうとすれば 書けない
無理して言葉にする必要も ないのだけれど

こうする以外に伝える方法も知らなくて

確かに受け取ったのは 
海からのメッセージ

どこまでも続く 真っ白な浜辺
寄せては返す波の音に 呼吸を合わせてみる

宮古島の空と海は とてつもなく優しくて暖かく
幼い頃 何度も戻りたかった 母親の胎内にいるような気分

太陽の光を全身で吸収しながら
海に潜って 白い魚を追いかけた

全ては移り変わっていく
私のいのちも あなたのいのちも

こだわっても こだわらなくても
全ては繋がっているのだから
いつでも ここに 戻っておいで
そんなふうに 囁かれた気がした

波に身を任せてみること
水底に沈んでみること
自分の奥深く
中心に座ってみること
みんな同じだね

母なる海は
何の欲もなく
一切の自己主張もせず
そこに在る

私の体も 大切なこの地球の一部
また 繋がることが出来た

優しくすること ケアすること
ハートを全開にして 感じること
頭の中の雑音に 耳を傾けないこと

いつもいつも 幸せになることに 貪欲であること
誰も幸せにする必要なんかないこと
私は私を 心ゆくまで満たしてあげれば良いこと

私に本当の生命力を吹き込んでくれる
2つの幼い命と

一緒に旅を続けている
大切な私の片割れと

移り変わっていく 永遠の今を
ただただ感じている この瞬間

頭のてっぺんから足のつま先まで
この光は全身を満たし
私たちは透明になっていく
そして最後は 白浜に全てが溶け

スピリットだけが大きく拡がった

2009年1月2日金曜日

大いなる命と繋がるために

大いなる命と繋がるために

まずは自分自身と繋がろう
自分自身と調和しよう
自分自身の喜びのために生きよう

「正しいこと」を探して彷徨う日々に別れを告げ

今日この日
私は生まれてきたその目的を思い出した

私たちは常に自由で
どんな時でも「選択権」を持っている
成長することも そこに留まることも
自分自身の選択

例えば
昨日よりも少し進化した自分
変わり続ける勇気
怒らない とか 恐れない という選択

決して焦らない 欲張らない とか

一見 調和していないように見える関係
それ自体が既に大いなる「調和」の一部であることに気付くこと

例えば
誰も 何も 私を縛ることは出来ない
本当にそう気付いたときの「心もとなさ」

自分自身を生きることの出来ない「言い訳」をすることに慣れすぎて
自分で自分の首を絞めていたことに気付かず

私を不自由にしていたのは
私自身の「欲」や「不安」だった

そして私を自由にするのは
すべてをあるがまま
天にお任せする勇気

より良い自分の命を生きるために
また一つ年を重ね

年を重ねれば重ねるほど
自分の無知を知る

そう言ったところで
自分を責めたり罰したりすることはせず

私に出来ることは
子供のように無邪気に日々を過ごすこと

そして自分のために生きること
誰のためでもなく
置き去りにしてきた
私自身の喜びのために
私が私と調和するために