2008年9月28日日曜日

The key to my Heart

30年前
小さな私は
自分の一部を箱に閉じ込め
鍵をかけた

気付けばその鍵は
どこかへ行ってしまった

20年前
自分の一部を箱に閉じ込めていることに気付き
私は鍵を探し始めた

10年前
その鍵を見つけてくれた人が出現した

私はずっと 気付かずに
鍵を自分で握っていたらしい

そして私はまた、わざと遠いところに
鍵を置き去りにしてしまった

今日、私は

その鍵をしっかりと右手に握り締めている
箱を開けてみようという決意と共に

もし途中で怖くなったら
止めてもいい

自分でかけた鍵は
いつだって自分で外すことが出来るのだ

箱の中にいるのはきっと
生まれたままの姿で笑う天使
私のなかの叡智

外側の時間が増えれば増えるほど
内側の時間が擦り減っていくように

目に見えるものしか見ないでいると
精神(スピリット)がどこかへ消えてしまう

精神(スピリット)の欠けた生など
生ではない

権威という名の下に蔓延する
この知的怠惰

日々変わっていくことを知るから
楽しいのだ

心が喜ぶから
知ることが楽しいのだ

知識は人のために役立ってこそ
初めて命を取り戻す

子供は親よりも賢い
常に目覚めているから

私たちは最初から何でも知っているのだ

だから
求めなければ
全てが与えられる

孤独な群衆が追い求めるのはいつも
MONEY POWER NAME

だから脱け出そう
The key to my my heart

心の鍵を外して

2008年9月14日日曜日

許されているということ

そう、私たちは 
何もかもを許されてるね

今、初めて気付いたけれど
最初から私たちは
何もかもを許されている

何度も何度も噛み締める
アスファルトを踏みしめる

駅からの道を歩く
缶ビールと満月の夜
鳩尾が開いていく

真の言葉をずっと探してきたけれど
誠の言葉を喋った記憶はない

もちろん
誰かにとって”誠実であろう”とする言葉なんてないけれど

真言ってなあに?
マントラって?

「上っ面の言葉を喋らないで、
本当の言葉を喋って欲しい」

と言いながら、

言葉の力を一番恐れていたのは
私かもしれない

真の言葉をずっと探してきたけれど

なんだ、

私自身が
”それ”を生きてるんじゃない

道理で、どこにも見つからないわけ

詩を書くって、きっと
言葉を忘れること

私たちは
全てを許されている
全てを!

夏の終わり 秋の始まり 満月の夜 

鳩尾からこぼれていく光の曼荼羅と
街灯が溶け合って

ここにもまた一つの聖地が創られている

2008年9月5日金曜日

この”奇跡”を

究極的には
客観 なんて 有り得ない

私の主観は
私にとっての事実で

あなたの主観は
あなたにとっての事実で

主観がどれだけ集まれば
客観になれると言うのだろう

事例を集める
分析する、検証すると言うけれど

過去が全部分ったら
未来のことも分るというのだろうか?

過去に起こったことしか
未来にも起こらないのなら

人間は何のために生きてるの?

自分の今日までの人生が奇跡であり

明日からの人生も、また奇跡が続いていく

私たちは、今、奇跡を生きている

主観でも客観でも

本当は私たちが

奇跡を”観る”ことなんて出来ないんだ

出来るのは

この”奇跡”を享受することだけ

ただ”在る”ことだけ