究極的には
客観 なんて 有り得ない
私の主観は
私にとっての事実で
あなたの主観は
あなたにとっての事実で
主観がどれだけ集まれば
客観になれると言うのだろう
事例を集める
分析する、検証すると言うけれど
過去が全部分ったら
未来のことも分るというのだろうか?
過去に起こったことしか
未来にも起こらないのなら
人間は何のために生きてるの?
自分の今日までの人生が奇跡であり
明日からの人生も、また奇跡が続いていく
私たちは、今、奇跡を生きている
主観でも客観でも
本当は私たちが
奇跡を”観る”ことなんて出来ないんだ
出来るのは
この”奇跡”を享受することだけ
ただ”在る”ことだけ
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