2008年6月15日日曜日

公園にて

梅雨の晴れ間(?)の晴天
土曜の午後
家族3人で仲良くお出かけ

バス停3つ先のところにあるその公園は
広いスペースもあり、
ブランコなど遊具もありで大人気

滑り台では、2歳から5、6歳位と思われる
男の子数人が遊んでいた

宇宙船ごっご?
よく分らないけれど、彼らの間では
共通のイメージの世界が確実に出来ていて
とにかく楽しそう

一番年上に見える男の子が
一番年下に見える男の子に
石を投げた、とても軽く、ごく近い距離から

その小さい子は泣き出し、
場の雰囲気が突然変わる

遠くにいた、小さい子のほうのママが出てきて、
「だーかーらっ、誰が!やったの!?」
ややプチ切れ。

男の子たちは、みんな口々に
「僕じゃありませんよ。ええ、僕じゃぁありませんからぁ・・・」

結局、自白したのかどうかはよく見えなかったけれど、
石を投げた子のほうのママも出てきて、
おまけに他の子たちのママもわらわらと出てきて、
謝ったり謝らせたり、
「ごめんなさいしよ~ね♪」
「はい、握手で仲直り~♪」

ああ、いまどきの子育て事情・・・
見て見ぬフリで、一部始終を観察する
私たち夫婦

気付けば、滑り台のてっぺんで
我が娘まで彼らを凝視している

「難しいね・・・」
「なんだかな~って感じだよね・・」

明らかに、自分たちの世界を創造し、共有し、
遊びに没頭していた男の子たち

みんなまだ小さいけれど、
仮想敵(?)と勇敢に戦っていて、
とっても男気溢れていて

ちょっとエキサイトし過ぎて石を投げちゃった、
そんな感じに、私には見えた
そしてもう一つ大事なこと

彼はきちんと手加減していた
石を投げられたら痛いってこと、
感じることが出来ているように、見えたけれど

もちろん、本当のところは分らない

けれど、
小さい男の子たちの遊びに
わらわらわらと、ママたちが突然介入してくるって・・・・
何かが絶対違うような気がするのは
私たちだけだろうか?

まだ息子がいないので
よく分らない

それにしても

男気はどこへ行った?
父親はどこへ行った?

そんなにママが強くちゃいけないよ、ホントに。
いや、ホントはママのほうが強いのかもしれないけど
それにしたって・・・

Leave him alone
男には男の世界があるんじゃないの?

私はやっぱり
生命力溢れる
強くて優しい男が良いです

2008年6月13日金曜日

NOW + HERE

NOW + HERE = NOWHERE
どこにもない
今、ここ

関の無い門、と書いて無関門
GATE OF NO GATE

私たちはどこから来て
どこへ向かっているのか

This is where we all came from
そしていつかまた戻っていく場所

例えば、登山
頂上に至る道は、人生の数だけある
人の通った道は、歩かない

高い高い山を登っているつもりで、
実は
深い深い井戸を掘っているのかもしれない

「自分のなかに、深い井戸を掘ってください」
高校生のとき、ある人に言われたこと

言葉の意味を本当に理解するには幼すぎたけれど
彼が言葉に込めた思い、は
確かに伝わった

Something about life
早く、人生を知りたい!
そう痛切に思った瞬間だった

NOW HERE
どこにもない
今、ここ
そして、これが全て

In the middle of nowhere
私の目指す場所

2008年6月8日日曜日

言葉にすること伝えること

普通の暮らしのなかの
ほんの何気ない感想でも
その一言が
誰かの心にさりげない明かりを灯すきっかけに
なってくれたなら
これ以上嬉しいことはないと思う
そして
そういうことは
結構よくあること
だから
口を閉ざしてしまうよりは
何でもいいから
言葉にしてみよう
いやな言葉しか出てこないのであれば
出なくなるまで出し切ってしまえばいい
そうしたら
自分の本当の気持ちが分って
いつか素直に笑える日が来るから
言葉にすること
伝えること
とても大事
どんな陳腐なセリフにも
そこに魂の発露があれば
必ず伝わる
言葉を超える何かが
本当に伝えたい何かが
ありふれた言い方
そういうのが
いちばん響くんじゃないかな
だって私たち
みんなありふれた存在

2008年6月4日水曜日

魂の開墾

最近、ある人との非常に深い気持ちのやりとりのなかで、
気付いたことがある。

例えば、私との対話のなかで、相手が自らを語ることにより、
過去の経験に新たな光が照らされたとする。
「ただ聞いて欲しかった」という彼女の純粋な心のおかげで、
私のほうこそ、この上なく深い気付きを得ることになった。

お互いに同じ分だけ与え合い、学び合い、
そしてその感動や感謝の気持ちが時空を超えて、
また別の人間の魂まで癒しているかもしれない、 という奇跡。

例えば、私との対話のなかで、誰かが深く自分の内面を見つめ、
自分の魂とも言える、真の自己をより多く発見する、とする。

そんなとき、私自身も、本来の私を発見し、
感情的に浄化され、魂が喜んでいるのを
しっかりと感じている。
最も私らしい私で存在することが出来ている。
他人と対話しているようでいて、自分の内面と対話している。

Cultivation of soul とは、私のメンターの言葉だけれど、
本当にまるで、一緒に魂の開墾作業をしているように!

より多くの人の魂と触れ合っていきたい。
響き合い、共鳴し合い、癒し、癒され。
それが私の仕事。
漠然と感じていたし、子供の頃からずっと
そんなことを探していたのだけれど、
はっきりと意識化され、言葉になったプロセスを、
今、ここにこうして記録している。

もしかすると、
魂は深く傷ついていて、その傷を癒そうと決意して、
この世に生まれてくるのかもしれない。

だから人の一生は、今与えられている自分の能力や状況の下、
ベストを尽くし続けることによって本来の自分が見えてくる、
という仕組みになっている。

本来の自分とは、皆とても純粋で、ただ善くありたい、
と存在する無垢な魂。
本当のコミュニケーションとは、魂と魂で触れ合うこと。