2010年2月4日木曜日

ブログ引越し

ブログ引越しました。

どうぞよろしくお願いします。

2009年9月16日水曜日

直観

この広い宇宙に

わたし ひとり

全ての

生きとし生けるものと繋がって

掴もうとすればするほど

指の間からするするとこぼれていく

ああ これが今日の

わたしの 命のかたち

昨日でもなく 明日でもなく

今日のわたしの 命のかたち

2009年9月15日火曜日

素直に

一番大切なことは 目に見えない

一番伝えたいことは 言葉にならない

本当の音楽は 音と音の間にある

生きていれば

良いことも 悪いことも ある

良いとか悪いとか 判断しているのは

小さな自分

その判断の基準は

どこから来ているのだろうか

判断の前には 思考があり

思考の前には

他人や過去の知識の集積がある

それをどこまで辿っても

知識の迷宮を彷徨うだけで

自分にとっての本物ではない気がする


良いも悪いも

同一物の異なる側面かもしれないのに

自分の発した言葉が

宙ぶらりんになって

行くあてもなく辺りを漂っている

そう感じるとき 見返りを求めている

肩に力が入りすぎて

言葉の力を信じられないとき

でもきっと 本当に力を持つのは

言葉や音、そのものであって

ちっぽけな人間のエゴではない

だからすべて

会話は会話がつながるままに

音楽は音楽が楽しむままに

文章は文章が生まれるままに

人間はただ生かされるままに

それで良いのかもしれない

2009年9月12日土曜日

村上和雄先生のセミナー

自分の魂の学びが

螺旋を描くように

進んでいると感じる 今日この頃

奇跡的に(!?)

あの村上和雄先生のお話を聴く機会に恵まれた

K姉妹、本当にどうも有り難う!

偉大な科学者であるとともに

宗教家でもあるはずの先生は

まさに

科学と宗教の歩み寄りを体現している方のように見える

Something great

呼び方は何でも良いと思うのだけれど

全てを委ねるところ

お任せしてしまう何か

恐れやこだわりは全て

Something great に委ねてしまって

私たちは、ただ笑っていれば良いんだって

恐れなければ それは愛だね

全て委ねてしまえば

誰も何も裁けない

許すことしか出来ないね

私たちのなかには

まだ眠っている遺伝子が沢山あるらしい

その遺伝子スィッチをONにするのは

笑顔!陽気さ!

きっと笑うことは生命力の源なんだね

Forget と Forgiveness  が同義語だということ

忘れること 許すこと

欲望を持たないようにするわけにはいかない

欲望を持ってもよい

ただ 欲望を忘れることは出来る

私も、欲望だけが人間の生命力の根源だとは思わない

どう考えたって

私たちは 生かされている

生かされているように生きていけば幸せで

欲に振り回されるのは勿体無い

傷つけたり傷つけられたりしたことを

忘れることも出来る

拘り続けることもできる

私たちは選択できる

ただ

自分や他人を罰するために生きてるのではないのならば

気楽なほうを選びたい

許すってことは

不正だと思ったことを認めることなのではなく

自分で裁かないで

Something great に委ねてしまうことなんだって

そうすれば「不正」に見えていたことが、見えなくなるね

すると不正な現実がなくなる

なんとなくモヤモヤしていたものが晴れていくような

魂がピンっとアンテナを張りなおしたような

自分の本当の居場所を思い出したような

そんな時間だった

K姉妹からいただいた貴重な時間

魂の糧となりました

本当にどうもありがとう!

2009年7月22日水曜日

皆既日食の決意

まとわりつく闇に負けるな 

闇から闇へさまよって

魂の迷子にならないように

光は自分のなかにある

自分のなかの光をもっと感じられるように

肩の力を抜いて 深呼吸

意識と無意識の橋渡し

もっと自由に堂々と

胸を開いて感じるままに

自分のなかの愛と光を表現しよう

自分を脅かしているのは

自分だけ なんだから

本当は 誰かに傷つけられることなんて ない

光があっての闇 闇があっての光

片方だけでは存在できないのなら

良い悪いと決めることには意味がない

光も闇も、体験しなければ 「わ・か・ら・な・い」

いつも目覚めた魂でいよう

目覚めた魂同士で もっと繋がろう

光と光で 手に手を取り合って


屋久島から連れてきた 

携帯ストラップの木霊ちゃんが

今朝 起きたら どこかへ消えていた

皆既日食の朝

きっと今日から 

私1人で歩いていける、ということ?

今まで本当にありがとう 木霊ちゃん

きっと今日から

新しい私

2009年7月4日土曜日

つれづれに

2年前 セドナへの旅の途中に読んでいた

河合隼雄さんの”ナバホへの旅 たましいの風景”(朝日文庫)

今朝、ふと気になってパラパラっと読み返しています。

開いたページが、きっと今の私へのメッセージ。

ナバホのメディスンマンは、儀式や治療のために、チベット仏教のマンダラのような

砂絵を描くのだそうです。

ナバホにとっても、チベットの人にとっても、自己と宇宙の調和、が重要なテーマ。

これはすべての人にとって、そうだと思いますが。

マンダラに表現される、全体性と調和。

全体と一部、一部と全体との関わり、自分と他との関わり。

どちらかが、またはどれか一つが欠けても、美しさは成り立たない。

今、ここの一瞬を創り出すために存在している、すべて。

ここ最近、個人的なテーマである「分離と統合」という観念。

なぜ私たちは、「繋がっている」と嬉しいのか?

昔から、ふと脳裏に浮かぶ縄文土器やケルトの文様

また最近よく気になっている「13の月の暦」。

ぐるぐる渦を巻きながら、上昇しているイメージ。

直線のぶつ切りではなく、始まりも終わりも分らないようならせん状の何か。


そこから繋がるのが、去年1人で観にいった

ドキュメンタリー映画 「1/4の奇跡~本当のことだから~」

(ちょうど今、下北沢のTOLLYWOODというミニシアターで上映中みたいです。)

今この瞬間が奇跡だということ、いのちが全て繋がっているということ、

ひとりひとり違っているから 素晴らしいんだ、ということ!感謝の映画。

出演者の1人である、バイオテクノロジーの権威で筑波大名誉教授の村上和雄さんの著作、

「アホは神の望み」(サンマーク出版)

面白かったです。とても勇気付けられる内容。

純粋なアホでいられることは難しいね。

アホのフリならいくらでも出来るけれど。


大切な友人に、私のそらに太陽がやってきたよと伝えたら、

彼女が「たいようオルガン」という絵本を送ってくれました。

太陽の絵本にそらは大喜び!

声に出して楽しそうに読んでいます。

誰かの優しさがこんなにも誰かを幸せにする!

私にとっても、目からウロコという感じの絵本でした。

なんだかすごい、すごいぞ。 

爆発してる、そう、生命がいきいきと爆発してる!そんな感じ。

愛しい姪っ子や甥っ子にインスパイアされて創作することもある、と言った彼女。

創作するということはきっと、愛するということ


太陽からマンダラに繋がった?

そんなつれづれを想う、土曜日の昼下がり。

2009年7月2日木曜日

美しさ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに


強くなりたいと思っていたけれど

強いということは同時に

弱いということでもあり

弱さを受け止める強さ

強さを受け止める弱さ

弱いも強いも 

それだけでは成り立たない

だから

これからは 美しさを目指そうと思う

美しいの反対は

美しくない?

美しくないって何だろう?

大丈夫 すべては

すべては 私の こころ が知っている

私のハートが 

私の心臓が

私の鼓動が

天と地の交差する場所が

そう 感じるままに

本当に辿り着きたい場所は

美しいところ

自分を取り巻くすべてが

自分の鏡であるなら

美しさとは 自分のなかにある

自分のなかに見つからなければ

地球の反対側にまで出かけたって

見つかりはしない

でもきっと

美しさとは優しいもの

「目指す」ような厳しいものではなく

既に そこに ここに あるもの

気付く こころ 感じる こころ

自分へのメッセージは

ほら、日常のいたるところに