30年前
小さな私は
自分の一部を箱に閉じ込め
鍵をかけた
気付けばその鍵は
どこかへ行ってしまった
20年前
自分の一部を箱に閉じ込めていることに気付き
私は鍵を探し始めた
10年前
その鍵を見つけてくれた人が出現した
私はずっと 気付かずに
鍵を自分で握っていたらしい
そして私はまた、わざと遠いところに
鍵を置き去りにしてしまった
今日、私は
その鍵をしっかりと右手に握り締めている
箱を開けてみようという決意と共に
もし途中で怖くなったら
止めてもいい
自分でかけた鍵は
いつだって自分で外すことが出来るのだ
箱の中にいるのはきっと
生まれたままの姿で笑う天使
私のなかの叡智
外側の時間が増えれば増えるほど
内側の時間が擦り減っていくように
目に見えるものしか見ないでいると
精神(スピリット)がどこかへ消えてしまう
精神(スピリット)の欠けた生など
生ではない
権威という名の下に蔓延する
この知的怠惰
日々変わっていくことを知るから
楽しいのだ
心が喜ぶから
知ることが楽しいのだ
知識は人のために役立ってこそ
初めて命を取り戻す
子供は親よりも賢い
常に目覚めているから
私たちは最初から何でも知っているのだ
だから
求めなければ
全てが与えられる
孤独な群衆が追い求めるのはいつも
MONEY POWER NAME
だから脱け出そう
The key to my my heart
心の鍵を外して
2008年9月28日日曜日
2008年9月14日日曜日
許されているということ
そう、私たちは
何もかもを許されてるね
今、初めて気付いたけれど
最初から私たちは
何もかもを許されている
何度も何度も噛み締める
アスファルトを踏みしめる
駅からの道を歩く
缶ビールと満月の夜
鳩尾が開いていく
真の言葉をずっと探してきたけれど
誠の言葉を喋った記憶はない
もちろん
誰かにとって”誠実であろう”とする言葉なんてないけれど
真言ってなあに?
マントラって?
「上っ面の言葉を喋らないで、
本当の言葉を喋って欲しい」
と言いながら、
言葉の力を一番恐れていたのは
私かもしれない
真の言葉をずっと探してきたけれど
なんだ、
私自身が
”それ”を生きてるんじゃない
道理で、どこにも見つからないわけ
詩を書くって、きっと
言葉を忘れること
私たちは
全てを許されている
全てを!
夏の終わり 秋の始まり 満月の夜
鳩尾からこぼれていく光の曼荼羅と
街灯が溶け合って
ここにもまた一つの聖地が創られている
何もかもを許されてるね
今、初めて気付いたけれど
最初から私たちは
何もかもを許されている
何度も何度も噛み締める
アスファルトを踏みしめる
駅からの道を歩く
缶ビールと満月の夜
鳩尾が開いていく
真の言葉をずっと探してきたけれど
誠の言葉を喋った記憶はない
もちろん
誰かにとって”誠実であろう”とする言葉なんてないけれど
真言ってなあに?
マントラって?
「上っ面の言葉を喋らないで、
本当の言葉を喋って欲しい」
と言いながら、
言葉の力を一番恐れていたのは
私かもしれない
真の言葉をずっと探してきたけれど
なんだ、
私自身が
”それ”を生きてるんじゃない
道理で、どこにも見つからないわけ
詩を書くって、きっと
言葉を忘れること
私たちは
全てを許されている
全てを!
夏の終わり 秋の始まり 満月の夜
鳩尾からこぼれていく光の曼荼羅と
街灯が溶け合って
ここにもまた一つの聖地が創られている
2008年9月5日金曜日
この”奇跡”を
究極的には
客観 なんて 有り得ない
私の主観は
私にとっての事実で
あなたの主観は
あなたにとっての事実で
主観がどれだけ集まれば
客観になれると言うのだろう
事例を集める
分析する、検証すると言うけれど
過去が全部分ったら
未来のことも分るというのだろうか?
過去に起こったことしか
未来にも起こらないのなら
人間は何のために生きてるの?
自分の今日までの人生が奇跡であり
明日からの人生も、また奇跡が続いていく
私たちは、今、奇跡を生きている
主観でも客観でも
本当は私たちが
奇跡を”観る”ことなんて出来ないんだ
出来るのは
この”奇跡”を享受することだけ
ただ”在る”ことだけ
客観 なんて 有り得ない
私の主観は
私にとっての事実で
あなたの主観は
あなたにとっての事実で
主観がどれだけ集まれば
客観になれると言うのだろう
事例を集める
分析する、検証すると言うけれど
過去が全部分ったら
未来のことも分るというのだろうか?
過去に起こったことしか
未来にも起こらないのなら
人間は何のために生きてるの?
自分の今日までの人生が奇跡であり
明日からの人生も、また奇跡が続いていく
私たちは、今、奇跡を生きている
主観でも客観でも
本当は私たちが
奇跡を”観る”ことなんて出来ないんだ
出来るのは
この”奇跡”を享受することだけ
ただ”在る”ことだけ
2008年8月31日日曜日
愛とか慈悲とか
愛されようなんて
1ミリも思っちゃいけない
本当に1ミリも思っちゃいけない
愛されようって思ったとたん
相手も同じことを思うから
愛されようって思ったとたんに
人間は破滅に向かう
愛されたい病は瞬時に伝染する
心は無駄に傷つくし
自然は破壊される
人生は
愛して愛して死ぬまで愛しきって
それで終わり、
そして終わりは、始まり
いろいろなことが
そこから始まる
この”愛する”って
キリスト愛の”愛”のほう、
”慈悲”のことだけれど
慈悲が足りないと思えば思うほど
慈悲も遠ざかる
だから
私自身が慈悲であればいい
私はいつだって慈悲の愛に満たされている
ただそのことを思い出せば良い
みんな本当は覚えているんだから
いつでも心の奥につながる階段を降りていけることを
きらきらと反射し光輝く静かな水面
心の中の聖地
どこにもない、今、ここの NOW-HERE
世俗にまみれ疲弊した愛が
ここでは水晶のようにクリアに生まれ変わり
ダイアモンドのように純粋に光り輝き
明日へ続く生命を創り出していることを
1ミリも思っちゃいけない
本当に1ミリも思っちゃいけない
愛されようって思ったとたん
相手も同じことを思うから
愛されようって思ったとたんに
人間は破滅に向かう
愛されたい病は瞬時に伝染する
心は無駄に傷つくし
自然は破壊される
人生は
愛して愛して死ぬまで愛しきって
それで終わり、
そして終わりは、始まり
いろいろなことが
そこから始まる
この”愛する”って
キリスト愛の”愛”のほう、
”慈悲”のことだけれど
慈悲が足りないと思えば思うほど
慈悲も遠ざかる
だから
私自身が慈悲であればいい
私はいつだって慈悲の愛に満たされている
ただそのことを思い出せば良い
みんな本当は覚えているんだから
いつでも心の奥につながる階段を降りていけることを
きらきらと反射し光輝く静かな水面
心の中の聖地
どこにもない、今、ここの NOW-HERE
世俗にまみれ疲弊した愛が
ここでは水晶のようにクリアに生まれ変わり
ダイアモンドのように純粋に光り輝き
明日へ続く生命を創り出していることを
kさんへ
草間彌生の話でいつも盛り上がる私とKさん
自分最高!
私、天才!
このぐらいの勢いも人生には必要なのよねって。
ふと思ったのだけれど、
この”自分最高!”って
強烈な”生命賛歌”じゃない?
水玉賛歌かな?
自分最高!=みんな最高!
私、天才!=みんな天才!
生きてるって素晴らしい!
誰がなんと言おうと
人生は遊び
遊んで遊んで命を輝かそう
オリジナルな自分でいたいね
オリジナルな自分でいないと
カッコつけちゃうし
カッコつけると
本当にカッコ悪いから
つまらない日々を生きてるのも
カッコ悪いけど
2008年の東京で
毎日遊んで楽しく暮らすのだって
難しい
とりあえず
Kさん、これからも一緒に遊びましょう!
自分最高!
私、天才!
このぐらいの勢いも人生には必要なのよねって。
ふと思ったのだけれど、
この”自分最高!”って
強烈な”生命賛歌”じゃない?
水玉賛歌かな?
自分最高!=みんな最高!
私、天才!=みんな天才!
生きてるって素晴らしい!
誰がなんと言おうと
人生は遊び
遊んで遊んで命を輝かそう
オリジナルな自分でいたいね
オリジナルな自分でいないと
カッコつけちゃうし
カッコつけると
本当にカッコ悪いから
つまらない日々を生きてるのも
カッコ悪いけど
2008年の東京で
毎日遊んで楽しく暮らすのだって
難しい
とりあえず
Kさん、これからも一緒に遊びましょう!
2008年8月10日日曜日
私へ
自分を貫いて貫いて
貫き通してみて
そうしてから初めて
大いなる流れのなかに生かされている
生命としての自分を
見つけるのかもしれない
エゴを追求しているかのように見えて
実は調和に向かっている
私は
自分の人生の絵が描けているだろうか
私は、空間に存在する微粒子の一粒であり
その一粒一粒すべてをキャンバスに描き出す
画家でもあり
私が、息を吹き返した瞬間
私の周りの”すべて”も
突然、活き活きと、生き始める
私は
私の顔で笑えているだろうか
recreation とは再創造であり
遊ぶことは 命を取り戻すこと
子供が無心に積み木を積むように
ただ、活き活きと存在する私たちは
キャンバスに描かれる無数のドット
一人一人の命が最高に輝けば
そこには永遠の調和が生まれる
貫き通してみて
そうしてから初めて
大いなる流れのなかに生かされている
生命としての自分を
見つけるのかもしれない
エゴを追求しているかのように見えて
実は調和に向かっている
私は
自分の人生の絵が描けているだろうか
私は、空間に存在する微粒子の一粒であり
その一粒一粒すべてをキャンバスに描き出す
画家でもあり
私が、息を吹き返した瞬間
私の周りの”すべて”も
突然、活き活きと、生き始める
私は
私の顔で笑えているだろうか
recreation とは再創造であり
遊ぶことは 命を取り戻すこと
子供が無心に積み木を積むように
ただ、活き活きと存在する私たちは
キャンバスに描かれる無数のドット
一人一人の命が最高に輝けば
そこには永遠の調和が生まれる
2008年8月4日月曜日
傷つきやすさと繊細さ
傷つきやすいということは、それは一つの才能だと思う。
世の中には、少々のことで傷つかなさそうな人もいて
(本当のところは本人にしか分らないけれど)
そういう人たちと、傷つきやすく繊細な人たちの資質とか才能は、
明らかに違うところにあると思う。
傷つきやすい人たちは、自分が傷つきやすいということを劣等感にしてしまい、
いろいろなことを内面に秘めたまま、悪循環に陥りやすい。
なぜかといえば、一般常識的に、大人は傷つきやすくてはいけない、
ということになっているから。
でも、感情を感じないようにしていると、感情は行き場がなくなり、出口も見失い、
最終的には心も体も凍らせてしまう。感情は、体の感覚と、とても深く繋がっている。
感情を自分から解放してあげる(もしくは自分を感情から解放するのか)には、
思い切りよく、気が済むまで(?)、感じきってあげるしかない、と思う。
子供は皆、とても繊細で傷つきやすく泣いてばかりいるのに、なぜか逞しいのは
そういう術を知っているから?
さらに
感情よりは、理性とか計算とか、アタマを使って生きたほうが一見、得に見える、
そんな時代は終わりつつある。力の強いもの、スピードの速いもの、の限界。
その代わり
今まで力で押さえつけられていたもの、弱く見えていたもの、
スピードの遅いもの、 それらがじわじわと浸透し、台頭し(!?)、
すべてを包み込みはじめている。
朝陽に感動したり、流れる雲に想いを馳せたり、綺麗な夕焼けに切なくなったり、
夜には本を読んで泣いてみたり、たまにはそれだけで一日を終えてみても良い。
自分のなかの ”小さな自分” の存在を感じること。
その ”小さな自分” のいろいろを、
きちんとTake care してあげることが大切だと思う。
傷つきやすさは、きっとダイヤの原石?
かなり言い尽くされてることだけれど、なぜか今日の私の腑に落ちる。
本当のことを言えば、傷つきやすさに執着することは、人間のエゴだとも思う。
ちっぽけな自分の心が何を感じていようが、それとは関係なく
山や海や森や樹や岩や砂は、いつもそのままで美しい。
木々のざわめきに耳を澄ます繊細な感性と、
誰かから予期せぬ悪意をぶつけられて傷つく心、
もしくはあらかじめそうならないように注意深く気を配る神経とは、
なんとなく似ているようで、実は全く違うものなのかもしれない。
自然の恩恵を受けるのは、人間の心だけじゃないし、生きている限りどの瞬間も、
私たちは自然の美しさを味わっているはずで。
どこかの誰かの一言で「傷ついた」と感じる気持ちは、
自分が勝手に創り上げた幻想だったり、
自分にとって都合のよい思考の習慣の結果だったり。
ただ、そういうエゴ的観点(?)で考えれば、
”出来る”自分だけじゃなくて、”出来ない”自分も認めてあげることによって、
劣等感などという無意味な幻想も、自分次第でポジティブなものに変えられる。
諦めないで挑戦し続ければ、人生の可能性は無数にあるってこと、が分る。
自分のことを一人前の大人だと思うのなら、まず最初は、傷つくくことも
傷つかないことも 自分で選択できるようになりたい。
そういう意味で、感情をコントロールする理性は本当の知性。
何が起ころうとも多少のことではジタバタせず、流れに身を任せ、
ただただ内面も外見も平和で幸福に在りたい。
そして次に、周囲の人間や環境に適応してみようとしたいし、
そうしなければいけないから、責任あるから、という理由ではなく、
自分の意思による行動は必ず現実に影響し、物理的な帰結を見る、
というイメージを持って、自ら周囲に働きかけたい。
One step at a day. 少しずつ少しずつ。
世の中には、少々のことで傷つかなさそうな人もいて
(本当のところは本人にしか分らないけれど)
そういう人たちと、傷つきやすく繊細な人たちの資質とか才能は、
明らかに違うところにあると思う。
傷つきやすい人たちは、自分が傷つきやすいということを劣等感にしてしまい、
いろいろなことを内面に秘めたまま、悪循環に陥りやすい。
なぜかといえば、一般常識的に、大人は傷つきやすくてはいけない、
ということになっているから。
でも、感情を感じないようにしていると、感情は行き場がなくなり、出口も見失い、
最終的には心も体も凍らせてしまう。感情は、体の感覚と、とても深く繋がっている。
感情を自分から解放してあげる(もしくは自分を感情から解放するのか)には、
思い切りよく、気が済むまで(?)、感じきってあげるしかない、と思う。
子供は皆、とても繊細で傷つきやすく泣いてばかりいるのに、なぜか逞しいのは
そういう術を知っているから?
さらに
感情よりは、理性とか計算とか、アタマを使って生きたほうが一見、得に見える、
そんな時代は終わりつつある。力の強いもの、スピードの速いもの、の限界。
その代わり
今まで力で押さえつけられていたもの、弱く見えていたもの、
スピードの遅いもの、 それらがじわじわと浸透し、台頭し(!?)、
すべてを包み込みはじめている。
朝陽に感動したり、流れる雲に想いを馳せたり、綺麗な夕焼けに切なくなったり、
夜には本を読んで泣いてみたり、たまにはそれだけで一日を終えてみても良い。
自分のなかの ”小さな自分” の存在を感じること。
その ”小さな自分” のいろいろを、
きちんとTake care してあげることが大切だと思う。
傷つきやすさは、きっとダイヤの原石?
かなり言い尽くされてることだけれど、なぜか今日の私の腑に落ちる。
本当のことを言えば、傷つきやすさに執着することは、人間のエゴだとも思う。
ちっぽけな自分の心が何を感じていようが、それとは関係なく
山や海や森や樹や岩や砂は、いつもそのままで美しい。
木々のざわめきに耳を澄ます繊細な感性と、
誰かから予期せぬ悪意をぶつけられて傷つく心、
もしくはあらかじめそうならないように注意深く気を配る神経とは、
なんとなく似ているようで、実は全く違うものなのかもしれない。
自然の恩恵を受けるのは、人間の心だけじゃないし、生きている限りどの瞬間も、
私たちは自然の美しさを味わっているはずで。
どこかの誰かの一言で「傷ついた」と感じる気持ちは、
自分が勝手に創り上げた幻想だったり、
自分にとって都合のよい思考の習慣の結果だったり。
ただ、そういうエゴ的観点(?)で考えれば、
”出来る”自分だけじゃなくて、”出来ない”自分も認めてあげることによって、
劣等感などという無意味な幻想も、自分次第でポジティブなものに変えられる。
諦めないで挑戦し続ければ、人生の可能性は無数にあるってこと、が分る。
自分のことを一人前の大人だと思うのなら、まず最初は、傷つくくことも
傷つかないことも 自分で選択できるようになりたい。
そういう意味で、感情をコントロールする理性は本当の知性。
何が起ころうとも多少のことではジタバタせず、流れに身を任せ、
ただただ内面も外見も平和で幸福に在りたい。
そして次に、周囲の人間や環境に適応してみようとしたいし、
そうしなければいけないから、責任あるから、という理由ではなく、
自分の意思による行動は必ず現実に影響し、物理的な帰結を見る、
というイメージを持って、自ら周囲に働きかけたい。
One step at a day. 少しずつ少しずつ。
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